2025年2月、子どもたちが石川県・能登の被災地を訪れました。能登半島地震から時間が経った今も、被災地では多くの人々が復興の途上にあります。「もう復興は進んでいるだろう」と思いながら現地を訪れた若者たちが目にしたのは、テレビやSNSでは伝わらない“現実”でした。
今回ご紹介するのは、実際に能登地震ボランティアに参加した若者の体験談です。
「役に立てるのか分からない」という不安を抱えながら飛び込んだ被災地で、彼が感じたのは“生きる力”と“人とのつながり”。
その率直な言葉からは、復興支援の大切さだけでなく、現代を生きる私たちに必要なメッセージが見えてきます。
能登地震ボランティアに参加したきっかけ
怖かった。でも、逃げたくなかった
まず、能登地震の被災地ボランティアに参加されたきっかけをお聞かせください。
参加者
正直に言うと「好奇心」でした。テレビや雑誌で能登地震の映像を見て、同じ世代の若者が困難な状況に置かれているのを知り、衝撃を受けたんです。画面越しではなく、自分の目で現実を確かめたい──その思いが、能登ボランティアに参加する原動力になりました。最初は怖かったです。家にいても落ち着かず、学校に行くのもしんどい毎日でした。そんな中で「能登の復興ボランティアに行ってみないか」と声をかけてもらったんです。不安はありましたが、「挑戦しなければ何も変わらない」と思い、決意しました。

ニュースでは伝わらない被災地の現実、若者を迎えてくれた現地の人々
テレビじゃ伝わらない“絶望”、“おかえり”の一言が、心を救ってくれた
実際に能登の被災地に入って、どんな光景が目に映りましたか。現地に着いたとき、最初に感じたことは?
参加者
ニュースやSNSで見ていたよりも、はるかに厳しい現実がありました。壊れた家がそのまま残り、土砂で埋まったままの場所もある。空から見ても、建物が一つも立っていない地域がありました。「まだこれほど復興が進んでいないのか」と衝撃を受けました。田んぼには30センチ以上の泥が流れ込み、家も道も茶色に埋まっていたんです。最初は「これは到底片づかない」と思いました。でも、みんなで泥をかき出していくと、隠れていた床や道路が見えてくる。その瞬間、「これが希望なんだ」と心の底から感じました。能登地震ボランティアを通じて、絶望の中から見える小さな光を知ったんです。僕は今回で2回目の参加ですが、現地の方に「おかえり」と言われた瞬間、涙が出そうになりました。今まで「自分には価値がない」と思っていた。でも、能登の被災地で受け入れられたとき、胸がじんわり温かくなって「生きていていいんだ」と思えました。


泥出し作業に挑む若者たち
スコップ1杯の泥が、人生を変えた
活動の中で心に残っているエピソードはありますか。体力的に大変な活動を続けられたのはなぜだと思いますか。
参加者
泥出し作業は想像以上に過酷でした。スコップ1杯の泥の重さに腕が震え、腰も悲鳴をあげました。4人で交代しなければ進まないほど。でも、土砂が少しずつ取り除かれて家が息を吹き返していくのを見て、「自分の力が役に立っている」と実感できました。能登地震ボランティアの現場で、その実感は何より大きな支えになりました。実は僕自身、過去に心を病んで救急車で運ばれたことがあって。その時、親友が泣きながら支えてくれたんです。その涙に「裏切れない」と思い、生き方を変えるきっかけになりました。能登でのボランティアでも同じです。泥だらけになりながら作業する自分の横で、仲間が笑ってくれる。その笑顔に救われました。誰かを助けているつもりが、実は自分も支えられていた──そんな「生きる力」を実感しました。みんなでやると「ゲームみたいに成果が見える」んです。声を掛け合いながら泥を片づけると、景色が変わっていく。筋肉痛になっても「もう一歩進んだ」と感じられる。それが能登地震ボランティアの醍醐味で、仲間と一緒だからこそ続けられました。仮設住宅で暮らす方々の中には、孤独やうつを抱えて動けなくなる人もいました。特に男性はプライドや寂しさを一人で背負ってしまいがちです。けれど、一緒にお茶を飲んだり、将棋をしたりするだけで少しずつ表情が和らぐんです。 「人は希望がある限り生きていける」。それを被災地で強く学びました。


能登ボランティアで得た“生きる力”
泥にまみれて、初めて自分を好きになれた
今回の能登ボランティア体験を通して、ご自身にどんな変化をもたらしましたか?
参加者
人生を変える経験でした。僕はずっと自己肯定感が低く、今までは「人を助けたい」と思いながらも、一歩を踏み出せず「自分なんて」と思っていました。でも、能登の被災地で泥にまみれ、汗を流し、現地の方から「ありがとう」と言われたとき、笑顔を交わすことや泥を一掻きすることが誰かの力になると知り、初めて自分を誇らしく思えたんです。泥の重さはただの土砂ではなく、人の暮らしと想いの重さ。大きなことじゃなくてもいい。小さな行動の積み重ねが人を支える──その泥を掻き出すことが、自分にとっての“生きる力”なんだと気づかされました。
【編集後記】報道の減った能登で起きていること
能登地震ボランティアの「今」を伝える
能登半島地震から時間が経ち、全国的な報道は少なくなっています。しかし、現地の暮らしや復興支援の現場は今も続いています。本記事では、実際に能登地震ボランティアに参加した若者の体験談を、現地での気づきや「生きる力」に触れたリアルな声をお伝えします。
能登で印象に残った光景は?
参加者
漁港の様子です。能登には「内海」と「外海」があって、内海側は被害が少なく漁も再開しています。でも外海側は海岸線が隆起し、海底がそのまま露出して真っ白になっていたんです。自然の力を前に「怖さ」と同時に「生きる力」を感じさせられました。
市場や食の体験から何を感じましたか?
参加者
市場のセリを見学しましたが、値段の付け方が分からず驚きました。東京では一匹ごとが当たり前なのに、能登では箱ごとドン!という感覚なんです。そのあと食べたイワシやウニは本当に新鮮で、能登の食文化の力強さを感じました。これは観光客にも体験してほしい「復興支援型の現地レポート」だと思いました。

ボランティアと観光を組み合わせる可能性は?
参加者
実際に家族で泥かきをしている人たちがいて、子どもたちが笑いながら作業している姿を見ました。それを見て「これも旅行の形だ」と思いました。雪かき体験ツアーやスーパーでのレジ体験、現地の人との交流を組み合わせた「体験型の復興ボランティア観光」は、若者の体験談としても価値があり、地域再生にもつながると感じました。
報道が減る中で、どう発信していくべきだと思いますか?
参加者
東京ではもう能登の話をする人は少ないです。でも現場はまだ復興の途中。だからこそSNSでの発信が大切です。TikTokなどを使えば、ニュースを見ない若者にも「能登の今」を届けられると思います。小さな発信の積み重ねが、復興支援の輪を広げるんだと信じています。

現地の人との交流で心に残った言葉は?
参加者
80代のおばあちゃんが「子どもには都会へ出ろと言ってきた」と話していました。でも孫世代になると「能登で挑戦したい」と言う子も出てきているんです。能登地震ボランティアを通じて出会った若者たちの姿に、私自身も勇気をもらいました。能登の復興を支えるのは、行政だけでなく、地域に残る覚悟を持った人々の生きる力だと強く感じました。
今回2回目の参加とのことですが、どんな気持ちの変化がありましたか?
参加者
1回目は必死でしたが、2回目は少し余裕ができて、周りや人の気持ちがよく見えました。継続して参加することの意味を実感しましたね。復興は短期間では終わりません。ボランティアは支援するだけでなく、自分自身の「生きる力」を確認する体験でもある。これからも継続して関わりたいと思います。

若者たちの挑戦が未来を照らす
能登地震からの復興は、まだ長い道のりです。報道が減っても、現地の暮らしは続き、挑戦する若者や地域の人々の姿があります。能登地震ボランティアの体験談を知ることは、支援の輪を広げ、未来を支える第一歩になるでしょう。
ボランティアに参加した若者の体験談から見えるのは、復興の厳しさと、人とのつながりが生み出す大きな力です。
「おかえり」という言葉、スコップで掻き出した泥、そして「ありがとう」の笑顔。すべてが、若者にとっての生きる力となり、被災地にとっても希望の光となっていました。
能登地震ボランティアを通して得られるのは、被災地のためだけではなく、若者自身が自分を取り戻す“生きる力”。
「知ること」「伝えること」「継続すること」が、能登と日本の未来を形づくる力になります。
若者たちが挑んだ“泥出し作業”と被災地の現実【第2回 能登ボランティア 前編】
被災地で学んだ“生きる力” 能登被災地で若者が感じた心の変化【第2回能登ボランティア 後編】
報道の減った能登で起きていること|伝えていく復興のカタチ【第2回能登ボランティア 記録編】
ゆめいくの活動は、みなさまのご寄付で支えられています。
どんな背景があっても、「新しい体験ができる場所がある」ということが誰かの希望になるように。
私たちはこれからも、ひとつひとつのつながりを大切にしていきます。